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法 人 理 事 長 挨 拶


法人理事長 中牟田英生より皆様へ

コロナに勝つぞ!

皆さん、家で我慢することが多いと思いますが、満面の笑顔でお会いできる日が必ず来ます。それまでは、どうか生活リズムを整え、健康第一で過ごしてください。そして、全員で見えない敵「コロナ」に打ち勝ちましょう。くれぐれも、お体を大切に…

令和2年4月
社会福祉法人PAL
理事長 中牟田英生




社会福祉法人PAL
理事長

中牟田 英生

創立10周年を迎えて

社会福祉法人にとっては、激動期の真っ直中にありますが、おかげさまでPALも創立10周年の記念すべき年を迎えることができました。これもひとえに、関係者各位の皆様をはじめ、地域の皆様方のご支援、ご尽力の賜物と深く感謝申しあげます。

前身の作業所にて「三楽の追求」を旗印に産声をあげてから、職員、関係各位及び保護者の皆様には大変な御苦労をおかけしてまいりましたが、社会福祉法人の設立後には、共同生活援助事業や相談支援事業の開設等、規模を着実に拡大するとともに、今日、業務内容を充実させ、利用者の要望に応じたきめ細かなサービスができつつあるまでに至りました。

この10年の足跡を新たなる節目として、今後も地域の障害者福祉の向上に、なお一層の研鑽を深め、貢献して参りたいと強く決意しているところでございます。 今後ともさらなるご支援、ご指導をたまわりますようよろしくお願い申しあげます。

(平成28年9月1日)


法人理事長コラム
「地吹雪体験ツアー」に学ぶ
2015年1月30日
この冬は例年以上に冷え込みが厳しいようですが、猛吹雪を何度も経験しなければならない雪国の暮らしを考えると、甘えてはいられないようです。札幌の雪祭りの由来も考えさせられましたが、青森県五所川原市で行われている「地吹雪体験ツアー」の始まりも人間のとてつもない底力を感じさせるお話しでした。

地吹雪とは積もった雪が強風にあおられ、下から吹き上げる現象。多量の雪と極寒、そして強風が織り成す冬の自然の猛威です。この地吹雪を、最近では地元津軽でもあまり見かけない北国の標準装備「モンペ、角巻、かんじき」などを身につけ体験するツアーは今や津軽の冬の恒例行事となっています。ツアー開業に携わった方の話しによると、地元住民にとって、地吹雪は生活の障害以外の何ものでもなかったため、観光資源として活用する話が出た時は、「こんなものが資源になるのか?」と、懐疑的な意見が多かったそうです。しかし、頭を悩ませる地吹雪も、見方を変えればこの地ならではの「かけがえのないもの」。雪に覆われ、じっとしているしかなかった町に、国内はもとより海外からも観光客が訪れるようになり、大きなにぎわいを見せるようになりました。
豪雪という環境が変わるけではない。冬の間だけ、逃げ出すわけにもいかない。故郷を愛し、故郷に生きる青年達の真剣な模索から生まれた一大イベントでした。

困難や試練を飛躍と成長の絶好のチャンスと捉える逆転の発想は、冬の到来を感じさせる福祉の世界に欠かせない人間らしさの一つだと強く感じさせられました。

責任の意味
2014年11月20日
日本語で「責任」というと、重い響きがあります。責任を「負う」「取らされる」など。
英語の「責任」にあたる語は「レスポンシビリティ」。「応答する」に由来し、他者からの求めや訴えに応える用意があるとの意味を含んでいます。日本語の「責任」にはそのような含意はなく、組織の一員として「負う」責任であって私≠ノ呼びかけられたと自覚し担うものではないようです。「取らされる」責任は立場や肩書きに応じて生まれては消えます。一方、主体的に引き受ける(応答する)責任は、生き方そのものに影響すべきものなのでしょう。

東日本大震災直後のある医師の話を思い出します。電気も水道も止まった病院で、不眠不休の治療を続けていましたが、たまるストレスと疲労で患者に配慮する余裕を失いそうななか、ある言葉を思い出し、そしてその意味を実感したそうです。それは、自分から見ると「患者さんは1対100」。患者さんにとって「自分は1対1」とのことばでした。十把一絡げの発想では、どの様な立場であれ、義務的責任、つまり「負う」「取らされる」責任の域を出ることは難しいが、一人一人と向き合えたとき、「応答する」責任を実感することができるのでしょう。

障がい者自立支援組織「プロップ・ステーション」を設立した竹中ナミさんは、「障がいがある人」を挑戦する使命を与えられた人との意味で「チャレンジド」と呼びます。そして一人一人がもつ「生きる速度」で挑戦する日々を支えることの大事さを訴えてありました。
一人一人の声を聴き、それぞれの「生きる速度」を見つめ、見極めることがレスポンシビリティの域に入ることなのかもしれません。。

習慣や文化の差異を超えるもの
2014年7月10日
心が通じ合うことの難しさは誰でも1度とならず経験されたことでしょう。習慣の違い、生活環境の違い、さらに細かくみると言葉や態度の受け取り方にも、一人一人違いがあります。

行き違いが重大な結果につながった例として耳にするのが、第2次世界大戦終盤の話。連合国のポツダム宣言を最初日本は黙殺しました。日本にとっての黙殺は承知しているが敢えて応えない≠ニいう微妙な意味でしたが、これを連合国は「完全に無視」と英訳し、さらに多くの犠牲者を出してしまいました。

事の大小は別として、思い違いや誤解によって悩むことはよくあることで、特に言葉に不自由さを抱える方々にとって修復の困難さは私たちの想像を超えるものがあると思われます。

そんな折、梅の専門店を経営するN.Sさんの話題に目を覚まされる思いがしました。百年を超える梅干しがあるそうで、さすがに長い年月の間にすっかり干からびてはいるのですが、梅酢を足すと膨らんできて見事に蘇るそうです。百年もつ梅干しの決め手は、仕上げの干し≠フ行程にあり、あと1〜2時間で干しを終えるもの、もう1日必要なもの…等。何百とある梅の一つ一つを見分ける作業は素人には気の遠くなる作業に思えますが、「梅の表情が見える」「梅に百年の命を宿らせる」と話される姿に梅の一つ一つに個性を見るほどの愛情を感じざるを得ませんでした。

人とのつながりもこの観点は重要だと考えます。一人一人の違いを理解し、尊重するところに相手の個性の輝きが明らかになってくるのでしょう。どこまでも一人を信頼し、大切にして接していく。時間もかかり、忍耐も必要な取組かも知れませんが、私自身の輝きも含め一人でも多くの人間の輝きをかなえる有効、適切な方法かも知れません。

視点により変わるもの
2014年4月30日
「1」から「10」まで数える。次に「10」から逆に数えてみる。すると、読み方が異なる数字があります。正順では「4」は「シ」だったのが、逆順では「ヨン」と読み、同じように「7」は「シチ」から「ナナ」と読み換える人が多いのではないでしょうか。正順の読み方は、一種の成句として伝統的に定着していますが、逆順の時は、一つ一つの数字を別個に考える傾向があるからだそうです。

なぜ一つずつ意識した場合、読み方が変わるのか。「シ」は「死」を嫌って「ヨン」に、「シチ」は「イチ」との混同を避けて「ナナ」に置き換えるようで、まとまり≠ニしてではなくそれぞれ≠ノ光を当てる時、固定概念が消え、別の側面が浮かび上がってくるとのことでした。「十把一絡げ」と「十人十色」。同じ「十」でも前者は個別に取り上げるほどの価値がないことを表し、後者は、かけがえのない個性の輝きが強調されていて、「一人」をどこまでも大切に励ます心が伝わってくるはずです。

話は変わって、快晴時の飛行機から眺める日本は、ほとんどが山地であることがよく分かるし、地上からは分からない海岸線も判然とします。「鳥瞰」と「虫瞰」という言葉ありますが、鳥の視点、つまり高い所から物事を見れば、対局を見失うことはないが、かといって、空からは見えない、路傍の野花にも心を配る虫の視点≠燒Yれてはならず、鳥の目と虫の目を併せもって初めて、正しい軌道を進むことが出来るのでしょう。また、鳥瞰と虫瞰の大切さは、時代を見る目にも通じます。ともすると、日々なすことに追われ、「現実」だけを見て、日々を過ごしがちなのが私たちの常ですが、長期的展望に立てば、今という時≠フ重要性がはっきり見えてくるのではないでしょうか。

どういう視点で行動しているのか、また今後行動していくべきなのか、日常生活に埋没することなく、利用者の三楽についてさらに可能性を深めていくためにも視点の点検≠積み重ねていきたいと願っています。

雪も音も人間も千差万別
2014年1月10日
粉雪、泡雪、牡丹雪…雪にもいろいろありますが、その分け方は国や民族などで異なります。例えば、北極海沿岸に住むイヌイットの雪の分け方は100種類とも。雪の世界に暮らす彼らは、その質などを詳細に見分けて伝え合うそうです。

音程には何種類あるのか?ピアノの鍵盤の数は88ですが、米イリノイ大学の実験によると、人が耳で明瞭に区別できる音の数は1380にものぼるそうです。

ものや事象の種類は、それに対する感受性や観察力が強いほど、差異が細かく認識されると言います。人間の関係も同じ事が言えるのではないでしょうか。表情や振る舞いのわずかな違いは、相手を深く思うからこそ気づくもの。“元気よく挨拶してくれても、どこか昨日と違う。お母さんに叱られたかな?何か大事なものをなくしてしまったのかな?”等。

一人として同じ人間はいないことと同様に、毎日毎日一人の人間の心の状況は変化しています。そしてさらに、悩みや課題は人によって千差万別。自分の経験だけを頼りに「あの人はこう」と決めつける拙速だけは誡めたいと思います。

さて、PALが社会福祉法人の許可を受けて8年の歳月が流れました。10周年までの課題は山積みされていますが、これまで通り皆様のお力を借りながら、そして利用者をはじめ、関係諸氏一人一人の存在を心に深く留めながら、一つ一つ登攀していく事をお約束し、新年の挨拶とさせていただきます。

宇宙飛行士選抜試験に学ぶ
2013年9月30日
夜空を見上げると、初秋の空に星が輝いています。人類は太古の昔から、この美しい宇宙にあこがれ、宇宙への旅を夢見た人も多いのではないでしょうか。
10年ぶりに宇宙飛行士試験を突破し、新たに3人の宇宙飛行士候補が誕生した時、この試験を密着取材したNHKの大鐘良一氏は、当初、超人が華々しく天才ぶりを発揮するような、難解な試験が行われるものと考えていたそうです。しかし、実際に取材をした感想は大きく異なり、どんなに苦しい場面でも決してあきらめず、 他人を思いやり、その言葉と行動で人を動かす力があるかどうか。そういう“人間力”を徹底的に調べ上げる試験だったそうです。

水も空気もない宇宙空間であるが故に、一つの失敗が文字通り命取り≠ノなる極限状態で必要なものは「知識」や「技術」以上に、「ねばり強さ」や「思いやり」といった人間力≠ナあるという指摘だったようです。

これは、日常生活の上でも重要なヒントとなることでしょう。私たち障がい者の方々の支援を行なうものにとって、障がい特性の理解やそれに基づいた支援技術は当然ながら欠かせないものですが、その奥で人間力が満ち溢れている人こそ、誰もが求める人材と言えるのでしょう。そして、その人間力を育むものこそ、目の前の一人の人間を愛し、一人の人間の喜びを追及することから始まるように思えるのですが…。

2020年のオリンピック、パラリンピックの開催地が決定しました。経済効果とともに、いろいろな感動が待ち受けていることでしょうが、その中でも、東北の避難所に暮らす人々の生活と福島原発処理が一歩でも進んでくれることを願いながら、目の前の笑顔の輪を広げていきたいと思います。

紙の上の”お友だち”への思いやり
2013年6月30日
「朝刊のコラム欄に次のような投稿を見つけました。算数の問題。「みかんを1人に2個ずつ3人にあげるには、みかんは全部で何個いるでしょう?」学校で教える回答は「2×3=6」しかし、ある児童は「3×2=6」としました。その児童の考えを尋ねると、2個ずつあげていくのに、A君、B君、C君が待ち遠しいと思うといけないから、とりあえず1個ずつあげる。それを2回繰り返したから3×2=6の式にしたのだそうです。

紙の上の”お友だち”への思いやりが、何ともほほえましいではありませんか。

子どもは思いやる天才です。東日本大震災の調査報告にもそれを実感しました。被災した子どもたちが泣いたのは、地震や津波の恐怖を感じたからだけではなく、大人でも自分の身を案じるのに精いっぱいの状況下で、家族を思いやり、泣いていたといいます。大人は、子どもに学ぶことがたくさんあるようです。十把一絡げ的に目の前の仕事を処理することに慣れきってしまうと、見落としたり、見間違えたりすることが多々あるのではないでしょうか。一人一人の顔や姿を常に思い描きながら過渡的な福祉の現場を見直していく必要がある。そう自分に強く言い聞かせました。

おむすびがおいしい訳
2013年1月31日
「おむすびが、どうしておいしいのだか、知っていますか。あれはね、人間の手で握りしめて作るからですよ」太宰治『斜陽』の一節です。18年前の阪神・淡路大震災では、炊き出しボランティアのおむすびに多くの被災者が救われ、励まされました。この善意の心を留めようと、1月17日を「おむすびの日」としたそうです。

また、一昨年の東日本大震災で自宅を追われ、避難所で過ごしたあるご家族は、手渡された一つのおにぎりを親子で分け合った経験から、「誰が握ってくれたかはわからない。だが、ほのかにぬくもりが残っていたおむすびに、一刻も早く被災者に≠ニの思いを感じた。その人と心が結ばれたという希望が、負けないで、生きていこうという勇気になりました」と語り、以来、その思いを忘れまいと、年頭、おせちに代えて、おむすびを味わうことにしたそうです。

「おむすび」は「恩結び」でもあったのですね。直接、手を握ることはできなくても、握りしめた真心は必ず相手に届くのです。心は見えません。しかし、心はつながり、心は心を動かすことができるということなのでしょう。私たちの日々の活動で忘れてはならない金色の一言と受け取りました。

加点法の価値
2012年10月31日
「100点満点の出来でした」等の言い方をよく耳にします。しかし、この発想、考えると「減点法」に基づいています。60点の人は50点より出来がいい。これはわかりますが、もし100点が3人いたら…彼らは正当に評価されたとは言えません。100点以上をつけてもいい出来だったかもしれないからです。

日本人は「上限を設けて生活したがる」と指摘したのは、小惑星探査機「はやぶさ」計画を指揮した宇宙航空研究開発機構の川口淳一郎教授。彼は、新しい試みに挑戦するなら、減点法より加点法を、すなわち「失敗を数えるより成功を数えよう」と訴えているのです。

実際、はやぶさは数多くの失敗を乗り越え、成功を勝ち取りました。例えば、4基のイオンエンジンが全て寿命を迎えてしまった際、まだ正常に動く部分を繋ぎ合せて一つのエンジンとし、危機を打開しました。月以外の天体から物質を持ち帰るという世界初の偉業の価値は「減点法」で計れず、「加点法」でこそ、その比類なき価値がわかるというものです。

不首尾を嘆くよりも「今日は、これができた」と振り返る。たとえ小さな一歩でも、その一歩の前進を讃え合うことで、明日への勇気の一歩が生まれる。そういう一歩を全員で踏み出していきたいと強く願っています。

「袖振り合うも他生の縁」
2012年5月31日
他生は「多生」とも書くが「多少」は間違いとのこと。袖が少し触れあった程度の関係でも、他生つまり過去世までさかのぼれば何かしらの縁はある、という意味だそうです。

世相を反映する流行語のひとつにもなった「無縁社会」。孤独死、飲酒運転や轢き逃げ、リストラ、児童虐待―こうした社会現象は、日本人がかつて持っていた家族や地域、社会などとの結びつきを急速に失いつつあるところから生まれているようです。無縁社会は、社会構造の変化と深く関わっているがゆえに、安易に「心の問題」とすることはできませんが、そのうえで確かなのは、袖振り合うほどの縁もない人は、一人もいないということ。無くなったものがあるとすれば、それは縁を大切に育み、強め、広げていく人間の振る舞いなのかもしれません。

東日本大震災から1年半が経とうとしています。あれだけ叫ばれた「絆」の意味を私達は決して風化させてはならないし、今後もできる限りの応援メッセージを届けていきたいと考えています。

今年も全てのPAL行事はチャリティーイベントとして取り組みますが、私たちの元気と真心を贈り続けて参りますので、支えていただいている皆さま方の熱い応援よろしくお願い申し上げます。

東日本大震災に学ぶ
2011年11月30日
この度、3泊4日で仙台市を拠点にして宮城県と福島県の被災地に行き、仮設住宅に避難されている方々や想像を絶する現実に立ち向かい乗り越えようとされている方々のお話を聞く機会を得ることができました。驚いたことは、私たちにとっては、フィクションの世界でしか知らないような様々な体験を淡々とお話になるその表情でした。涙は涸れてしまったのか、これ以上のものはないという過酷な現実を乗り越えられた人間の底力がそうさせるのか、心境を計り知ることはできませんでしたが、私どもには、すべてが涙なしでは聞くことができないお話しばかりでした。  

そんな私たちに一人のご婦人がおっしゃった一言が忘れられません。「こうしてお会いすることで、『東北人は忘れられていない』ということを実感します。この現実こそこれからの生きる糧です…」と。  

もし私たちが同じような状況に陥ったとしても、少なくとも東北の方々は私たちの絶対の味方であることを心底感じたのは私だけではなかったと思います。  

「負けてたまっか!」「絆」等の文字が町のあちこちで見られました。苦しい時に限らず、心と心のふれあいこそ、現代が求める最優先の行動目標であることをあらためて痛感した4日間でした。

津波に流された桜が花を咲かせた
2011年4月28日
今回の東日本大震災にて尊い生命をうばわれたすべての方々のご冥福と、2ヶ月経過しても過酷な日々を余儀なくされておられる地域の一日でも早い復興を、衷心よりお祈り申し上げます。また、障害や病などでさらなる生きづらさを背負われながらも逞しく現実と戦い続けておられる方々の安全と安心が一刻も早く取り戻せるよう願ってやみません。

長崎の爆心地で生まれた評論家の立花隆氏によると、今回の大地震をエネルギーで計算すると、ヒロシマ原爆3万2千発分に相当するとのこと。かつて地元では万全の備えと考えたに違いない巨大な防波堤の数々が見るも無惨に破壊された有様を見て、氏は大自然の力に比べると、人間の知力、工作力は、これほど無力なのかと述懐されておりました。

このような想像を絶する東日本の惨状や福島原発処理騒動の中でも、わずかながら心あたたまる話題も耳にすることができるようになりました。そのひとつが、岩手県陸前高田市の中学校の教師と生徒達の対話です。津波で根こそぎ流された一本の桜が、瓦礫の上に横たわったまま花を咲かせたそうで、それを見ながら教師は「精一杯生きるということはこういうことなんだ」と語ったそうです。逆境に耐え、咲いた桜の「生きよう」とする力。真剣に励まそうとした教師の言葉。生徒たちの心には何かが残ったに違いありません。

私たちにできることは何かを問い続けながらも、無知や無関心を背景とする心ない風評だけは私たちの回りから断固として排除しなければならないと、心の底から感じたひと時でした。。

"ありがとう"の意味”
2011年2月28日
たった一人で、世界6大陸の最高峰を登頂した青年登山家が体力測定したところ、医師が驚いて告げました。「あなたの腕力、脚力、肺活量、すべてが平均点以下です」それを聞いた青年登山家はこう答えました。「私には限界を突破する秘訣があります。それは“ありがとう”とつぶやくことです」と。

さらに「8000メートル級の峰で、苦しくなればなるほど“ありがとう”を繰り返す。すると“困難が自分を磨いてくれる”と力が湧き、次の一歩が踏み出せる」と著書『一歩を越える勇気』で栗城史多さんは語っていました。

話は変わりますが、電通総研の調査によると、他人や社会のために役立つ行動をした時の自分の気持ちに、世代間で差異があることがわかりました。20代以降の回答トップは「困っている人が助かることが嬉しい」に対して10代だけは、「ありがとうの一言」の方がトップに。20代でもトップと僅差。若い世代ほど“感謝の言葉”を求めているそうです。

「どうも」ではなく「ありがとう」 そこには相手を認める意識が伴います。

振り返ると、人にしてもらったことを当たり前として済ませていた場面がたくさん思い浮かびます。人間は言葉の動物。硬直しかかっていた人間関係も、感謝の言葉によって新たな絆が紡ぎ出せるかも知れません。

いろいろな方々に支えられ現在のPALがあることを心から感謝し、皆様方と新たな一歩を踏み出していきたいと願っています。
ありがとうございました。そして今後もご指導ご鞭撻よろしくお願い申し上げます。

言い訳の脳に“活(勝つ)”!
2010年10月29日
『最近、歳のせいか記憶力がめっきり落ちてしまって…』よく口にするし、耳にする言葉ですが、脳科学者の池谷裕二氏によると、記憶力低下は「加齢のせい」ばかりではないそうで、人間は、好奇心や探求心がわいた時には「シータ波」が発生し、この脳波を増やすことで、若者と同じだけの記憶力を発揮できるそうです。
 逆にこの「シータ波」を妨げるのは、『そんなことやらなくても分かっている』とか、『どうせ、この前と同じでしょ』などという気持ちで、脳にとって「マンネリ化」こそが最大の敵になるとも語っています。
 同じものを見るにしても、見る人の心の状態で随分変わるもの。仕事、生活、人間関係など、ともすれば同じことの繰り返しに見える毎日ですが、毎日が「同じまま」に見えるのは、自分が「同じまま」でいるからかも知れません。何かと言い訳する自分の脳に「常に新しいものを学ぶ」ことで活を入れながら、更に新たな挑戦の一歩を踏み出していきたい。そう心に強く願いました。

顕れる「信頼と徳」を信じて
2010年7月31日
先日、発熱で行きつけの病院へ駆け込んだときのこと。待ち時間にある雑誌をめくっていると、「輪島塗」の特集が目にとまりました。輪島塗は黒や赤の単色のほか、蒔絵(まきえ)や沈金(ちんきん)などの絵や柄を加える"加色"の美しさも特徴で、日本を代表する伝統美のひとつですが、そういう華やかさの一方で、自慢はその丈夫さにあるそうです。輪島の漆器は、分業制による百を超す工程を経て、修理もできる実用性も兼ね備えているとのこと。
例えば、器の良さを決める最初の木地(きじ)作り。破損しやすい部分に麻布(あさぬの)等を貼って補強し、漆(うるし)を塗り重ねる「布着せ」。そして、「地の粉」と呼ばれる珪藻土を焼いた粉末を下地塗りに使って、耐久性を高める努力など…。
しかし、これらの工程は、完成品からはわかりません。逆に、人の目には触れないようにとの工夫さえ施されているそうです。「本当の気配りって、周りの人は気づかないのです」と塗師は語っていました。
今回の参議院選でできたねじれ政局。自立支援法の改正は、いつ議論されることか。福祉激動の時代はまだまだ続きそうですが、そんな中、この塗師の最後の言葉が、胸に突き刺さりました。「報われないかに見える苦労、評価されない努力もあるかも知れないが、いつか必ず顕れる信頼と徳を信じて今日もコツコツと働くだけです」と。
いつの間にか熱感が消えていたのは、気のせいだったのでしょうか。

助けることの意味
2010年2月26日
つい先日新年の挨拶をしたばかりなのに、にげる″かのように2月が過ぎ去ろうとしています。時の流れに、普段の慌ただしさの中に身を任せている自分を、ふと立ち止まって見つめると「後悔先に立たず」との教訓が胸に突き刺さってきます。そんな時、手にした『働く人の夢』という一冊の単行本に、人を助ける仕事″に携わる若者の率直な胸の内が綴られていました。

医師免許を取得して3年になる女性。「いのちの重さ″に押しつぶされそうになっていた。」
社会福祉士の男性は27歳。「必死で介護するほどに、相手の心が自分から離れていくようだった」と。
そんな二人に元気をくれたのは、笑顔の患者だった。「『体だけは大事にしいや』と優しく頭をなでてくれたおばあちゃんに、どれほど癒されたか。差し伸べたその手に、逆に、勇気や感動をもらった」とも…。

そこでは、本来助ける側″にいた人の心に芽生えた感動や感謝の思いが、新たな仕事の原動力になっていました。そう考えると、人間の心の世界には、世間で言う助ける・助けられる″という区別はなく、人は誰もが、喜びや苦しみを分かち合い、切磋琢磨してともに成長しゆく存在であるはずなのでしょう。
福祉激動の時代はまだまだ続きそうです。だからこそ、働くことや、生きることの意味に新鮮な息吹を吹きかけながら一日一日を大切に生きていきたいと願っています。

歴史が変わる時に必要なものは
2009年11月30日
2009年8月30日、永田町の人間模様が一変する歴史的な一日となりました。当然のことではありますが、民意が政治に反映される、もしくは民意が政治を司る時代の到来という意味で、また、政治家が民衆の下僕であることを再確認するという意味で、今回の選挙結果は、21世紀の日本のビッグニュースのひとつになることでしょう。
さて、政権交代による福祉の状況はどのように変化するのでしょうか。私達が直接関与する障害者自立支援法は、とかくその善し悪しが問われてきましたが、法の存在そのものに反対の立場をとってきた民主党政権において、又まぐるしい変化があるのでしょうか。とにもかくにも障がいをもつ方々が変化の犠牲になることだけは避けてほしいと強く願っています。また福祉に携わる者は、たとえどのような変化があろうとも障がいをもつ方々から笑顔を消失させないためのあらゆる努力を惜しまぬ決意をしなければならないと考えています。
そんなおり、ある新聞の社説欄に「歴史を動かすもの」と題した記事を目にしました。社会の混迷が深ければ深いほど必要なものは?と吉川英治著「三国志」を通して訴えていました。PALにとっても不可欠な内容と思われましたので一部を紹介します。

・・・漠王朝の血をひく主人公の玄徳は、理想主義者である。民衆に根ざした政治を夢見るが優柔不断な性格で乱世に打って出る心が弱い。織物の商いで細々と暮らす日々。盟友の誓いを交わす張飛、関羽も、完全無欠ではない。張飛は、生命力の強い豪傑だが、軽薄で荒っぽい。関羽も信義に厚いが、真面目な性格から損をすることもあり、寺子屋の学者に甘んじていた。弱点も多く、乱世に埋もれていた彼らが、なぜ英傑として名を残したのか。互いの短所を知って、補いあっていけたから団結できたのだ。別々に生きていれば、ただの夢想家、暴れ者、学者で一生を終えたかもしれない3人。結束することで「高い理想」に「攻撃精神」や「勇気」が加わり、玄徳の陣営は民衆の熱い支持を浴びた。団結は力である。頭で分かっていても直せない短所を補ってくれるのが、真の仲間。その結びつきの中で、互いの長所がさらに高められ、一人ひとりが、勇者に磨かれていく…

微力ながら、障がいを持つ方々の支援をさせていただいて7年(作業所時代を含め)の年月が経とうとしていますが、福祉激動の現在、埋もれてしまうのかそうでないかは、職員及び関係者の一層の努力と団結にかかっていると言っても過言ではないと思います。互いの弱点を補いながら、さらに良いものを磨き合いながら明日の利用者の笑顔のために頑張っていきたいと強く願っています。

激動の年にあたって
2009年1月1日
百年に一度の世界大不況と言われる本年の大荒波に向かっていかに舵を取るかが、福祉業界に限らず全ての企業に問われています。「こういう時代だから…」を反映して、想像を絶する暗いニュースが蔓延すればするほど、「こういう時代だからこそ…」との逆転の発想が広く求められているのでしょう。大地を踏みしめる足下を見直し、遅速ながらも着実な一歩を踏み出したいと強く願っています。

その着実な一歩を考える上で、小学校1年生の「お母さんの夢」という題名の作文が私の目に飛び込んできました。それは、母親に小さい頃に何になりたかったかを聞く場面から始まり、「いろんなものになりたかったよ」と答える母親は、クリーニング店の仕事に興味を持ち、遠足でバスガイドに憧れ、食事に行くとウェートレスになりたいと思ったそうで、そんな子ども心を率直に伝えていきます。子どもは、「お母さんの夢は叶わなかったんだね」と。しかし、母は全部かなったと言う。家族の洗濯物にアイロンをかけ、夫が運転する車ではガイド役、家族の食事を出す時はウェートレス。その答えに、子どもは「大人っていいなぁ」と結びました。
お母さんの夢は叶わなかったと思った子どもの気持ちが、母のふっくらした言葉一つで、こうも変わる。何気ない日常を、いつもみずみずしい感性で前向きに受け止めていくことの大切さを学びました。

先ずは日常的業務を点検し、無駄を廃することは勿論、陥りやすい惰性化を見破ることで又PALの原点を職員一同確認し合いたいと思います。また、こういう時代だからこそ、皆様方からのご意見ほど、貴重なものはありません。いつでも気楽に足を運んでいただき、ご指導ご鞭撻、心よりお願い申し上げます。

「PALっていいなー」との声が少しでも多く聞かれるよう努力することをお約束し、挨拶とさせていただきます。

地域に愛される存在を目指して
2008年7月1日
イタリアのルネサンス期を代表する万能の天才レオナルド・ダ・ピンチが書いた『石から生まれたもの』という童話があります。
『ある石が、火打ち石に叩かれた。石は驚いてとても怒った。が、火打ち石は笑ってこう答えた。「がまん、がまん。がまんが大切。これが、がまんできたら、私はあなたの体から、素晴らしいものをひき出してあげますよ。」石は気を取り直して、忍耐に徹した。カチッ、カチッ!すると自分の中から、素晴らしい火が飛び出た…。』
新たな創造の「火」は、自分の内にあり、その「火」を打ち出すものは、自分を鍛えてくれる困難との衝突であることを語っています。
社会福祉法人が生き残りをかけ、新たなサービスを模索する昨今、PALらしい「火」を発する為には、先ずは地域の方々に愛され、育てていただく存在として開かれた事業所を確立することが急務であろうと考えます。各種の行事交流をはじめ、PALショップ開店、紙リサイクルボックスの開設等、これまでの点的活動を線でつなぎ、さらに立体的な関係を目指す中で頂戴するご意見、ご指導こそ、私どもが今後直面するであろう困難を乗り越える最大の支えとなるに違いありません。
先日、地域のある会社から仕事の依頼がありました。作業行程等への様々な御配慮のおかげで、障害のある利用者がそれぞれの個性を活かしながら取り組むことができた上に、今後の長いお付き合いの約束もいただき、感謝の思いに満たされました。地域で愛されるPALが、PALらしい「火」、PALらしい「光り」を放ち続けられる日を目指して、今日からまた一歩ずつ歩みを進めていきたいと思います。

PAL開所二年目にあたって
2008年1月1日
『ぞうさん/ぞうさん/おはなが ながいのね/そうよ/かあさんも ながいのよ』昭和27年に発表された誰もが知っている童謡「ぞうさん」。仲むつまじい象の親子が目に浮かんできますが、作詞家によると子象が悪口を言われた歌で、他の動物から見たら、鼻が長い君はおかしいよと言われたことに対して子象は、しょげたり怒り返したりせず、『大好きな母さんも長いのよ』と朗らかに切り返し、それを誇りにしている歌だということだそうです。福祉激動の年にあたり、PALは朗らかにそして、心の中に毅然と誇れる何かを見いだしながらこの難局を乗り越えていきたいと強く願っています。
さて、「三楽の追求」(生活・社会・人生を楽しむ)を目標に平成18年9月に開所した授産施設PALも早いもので一周年を迎えることができ、あらためて応援していただいた方々や真剣に作業に取り組んでいただいた利用者、そして全てを理解し共に歩んでいただいた保護者の皆様に心より感謝申し上げます。
二年目のPALはいよいよ自立支援法に基づく新事業に移行します。すなわち「生活介護」「生活訓練」「就労継続支援B型」事業所として再出発しますが、創設以来の目標を堅持しつつ、PALらしさをさらに深く模索していきたいと考えています。特に第二番目の「社会を楽しむ」に関して、利用者一人一人のニーズに応え、「その人らしく地城・社会で生きる」ことの意味について一定の方向を提案し支援することを最重点目標として取り組んで参ります。その為には、私ども職員の力量が問われることになりますが、研修や実践を通して先ずは「聞く力」「伝える力」を身につけ、さらに共通理解を深めて参る決意です。関係各位のこれまで以上のご指導を切にお願いして二年目の出発をさせていただきます。

授産施設PAL開所しました
2006年10月28日
平成15年4月1日に福祉作業所「PAL」が発足。恵まれた自然環境の中で細々と園芸作業を中心に生きる力を育み合ってきました。それから3年半が経過。仲間も倍の22名、職員も4名から13名の大世帯となりました。その間に地域の皆様から多大な支援をいただき、交流の場を確実に増やすことができました。中でも少年院生との交流定例化は数々のドラマを生み出し、互いの成長に大きく影響し合っています。この度、認可施設となりましたが、今後も地域に社会に開かれた施設を目指し、みんなで一歩前進して参ります。

色々な方との触れ合いや、色々な場面での経験を豊かにすることで彼等の可能性は広がります。それらを実現するためには、理解の輪を広げるとともに、活動資金を少しでも多く蓄えることが当面の課題でもあります。
皆様のご要望に応えられる技術と体力を身につけ、継続的な収入が確保できるよう、今後とも頑張っていきますので、ますますのご理解、ご支援をよろしくお願いいたします。

また、色々な方に気軽に立ち寄っていただき、気に入った商品を購入していただくことは勿論のこと、社会で生きていこうと一生懸命頑張っている仲間との触れ合いの機会を持っていただくために、仮称「PALショップ」開店を目指し、現在準備中です。印刷関係を中心とした業務になりますが、とれたての野菜や花の苗、さらにはできたての手芸品、陶芸品も販売していく予定です。その節にはご贔屓下さいますよう、重ねてお願いいたします。


社会福祉法人PALは障害福祉サービス事業所PALの運営母体です


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